☆しげ

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続けるためのモチベーション

ここの更新もポツポツといった感じだが、こんな私も1年以上毎日ブログを更新していたことがある。あのときにできて、いまできていない理由はなにか。それはひとえにモチベーションがあるかどうか。では、そのモチベーションの種はどこにあるのか。これはいくつか考えられる。目標があるかどうか続けるきっかけがあるかどうか見てくれる誰かがいるかどうかアウトプットに反応があるかどうかあの頃はブログが流行っていたこともあり「毎日書く」を目標にしていた。ある程度続くと、途中で辞めるのが悔しくなるので、目標達成に向けて懸命に書いていた。なにか書き始めれば書けたものだ。いまはその目標がない。あの頃は書くための状況ができていた。家に帰ったら必ずPCに向かう習慣があった。まだやることが限られた時代。SNSも世に出ていなかった。よって見るのはブログ。そして自分のブログのマイページを開く。結果、書き始める環境が整っていた。あの頃は見てくれる読者がいた。楽天ブログをやっている仲間同士、相互リンクを張ってお互いに読むような環境があった。読み手が見えると書く気にもなる。いまは書いてもせいぜい数人が読む程度。あの頃は反応があった。反応があるというのはFacebookでもInstagramでも嬉しい。いまは反応が見られるのでFacebook中心に書いている。ブログにはこれといった反応が見られない。他の人からの反応はなくても、自分の中で反応する何かはあった。気づきや成長の実感だ。そんな自分の中の反応もまたモチベーションの種になる。

降りてきたよ

今日はいろいろ降りてきた。とにかく研修に登壇せずに家にいると、いろいろ考えるのですよ。facebookみたりいろんなWebサイト覗いたりしているうちに。特にここ数日は10年位前に考えていたことをいろいろ思い出した。ああなりたいとか、こんなことしたいとか、こんなふうになりたいとか考えていた頃。どうしたらそうなれるかって奮闘していた頃。もやもやもやもや考えてた。年が明けてから家にいる時間も多かったからかな、おんなじようなもやもやが襲ってきた。で、今日、いろいろ降りてきた。(実は昨日もいくつか降りてきてたんだけど)忘れないようにここに記録しておこう。・シンプルに生きるそのために、1.迷ってないで決める  迷ってるってことは少なからず前に進みたい気持ちがあるんだよね。  だったら進むべき。だって、しなかった後悔よりしちゃった後悔のほうが学びが多いんだから。2.比べない  他人は他人、自分は自分。自分は自分の人生を生きる。3.喜ぶ  喜びの感情は表現する。周りの人も喜んでくれるし、それで自分はもっと喜ぶ。喜びのドミノ倒しや〜!・Work as Lifeワークライフバランスとかじゃないんだって。そうだよなと思った。この言葉は好きだ。仕事は趣味だし、それすら人生の一部。ならば Work as Life だよな。・甘えない自分の人生なんだから、自分で決めて自分で進む。自分で舵を握る。誰かに甘えるんじゃなくて、自分の力で我が道を行く。あぁ、しいたけ占いにあった「孤高のブルドーザーモード」だな。何かって言うと、「自分の視界に入るものすべて」において、自分で勝手にやっていきたくなるのです。「全責任は自分で取っていくから、ある程度は自由にやらせてほしい。口は出さないでください。変に意見をしたら怒りますよ」という気持ち。

輝く道を行こう

人は機械じゃないから、組織の中で同じように動くように仕立てようとするのは、かの国のリーダーの考えとほとんど同じように思われる。 同じクオリティの人を揃えよう(育てよう)とするのも、大量生産する苦情のようでどこかおかしいと感じる。 大事なのは、一人ひとりの強みをどれだけ組織の目的に活かせるのかを考えること。 人を育て、活かし、輝かせること。  「研修」という言葉で表現できるほど狭い話ではなく。そしてそれは、私の仕事の一面に名前をつけだに過ぎない。自分が何者として生きるのか。人生とはその謎を解く旅でもあるようだ。しかし、少しずつわかってきたことは、その謎を解くカギが少しずつ手に入っているということ。そしてヒントも少しずつ見えてきているということ。自分の、この社会における立ち位置というのがどういうところにあるのかが、わかり始めている。大会社の社長と比べても無意味。なぜなら私の生きるところはそこではないから。政治家と比べてみても無意味。なぜなら私の輝くところはそこではないから。自分の強みに目を向けよう。自分の感情が沸き立つことに目を向けよう。その道が、自分が進む道に違いない。https://www.hontouno-shigoto.com/

「考える」とは

「考え中です」「よく考えろ!」とか、子供の頃から言われてきた記憶があります。大人になって(というか、50近くになって)ようやく「考える」がどういうことかわかってきました。人によっていろいろ定義はあるようですが、私は、「考える」とは、問いから答えを導き出すまでプロセス全体であると定義しています。闇雲に考えることはできないです。いつも最初に「問い」があります。疑問です。「?」です。「どうして空は青いの?」その問いがあるから、謎を解こうと調査、分析、試行錯誤するのです。「宇宙の外はどうなっているの?」その問いから、ああでもないこうでもないと、答えらしきものを物色するわけです。考えるとは、そういうこと。逆に言えば、「疑問を持たない」というのは思考停止しているも同然。疑問がなければ発見もないわけです。商売柄、論理思考とか指導してますが、参加者の中に「論理思考が苦手」という人が時々いますが、そんな人の多くが「そもそも考えていないのではないか?」と思うのです。組織に入ると会社や上司の言うことを聞いて動くのが正である、と認識し始める人が多いように思います。そうすると、上司の言うことや会社の方針に無条件に従うようになります。何の疑問も持たないのです。思考停止状態です。そんな会社に限って社員に求めているのが「主体性」だったりします。だったらはじめから事細かに説明したりルールを厳格に作ったりしなければいいのに、と思います。「考える」トレーニングに必要なことは、問うことです。問いを投げてみて、相手に答えてもらうように仕向ければ、相手は考えます。自分で考えて、自分で答えを出す。そこから確からしさを検証し(仮説検証)、不足や不備や誤りがあるならば考え直し、確信に近づいていく。そういう風に頭を使うことが、求められている気がします。もっと考えよう。