「人生」という終了時間未定の限られた時間の中で


「週5日会社で働き続けて、小金持ちのハゲたメタボのオッサンにでもなりたいのか?」
「週2日の休日のために週5日60歳まで働く生活が、やりたいことなのだろうか?」


なるほど、響く質問だ。


“好きなことをやって生きよう” というようなメッセージは以前からある。しかしこれは「享楽的に生きようじゃないか!」というメッセージではない。

高級車を乗り回して女の子と高級レストランに行き、高級なワインと絶品料理に舌鼓を打ち、好きなモノを好きなだけ買って、びっくりするような高層マンションの最上階の夜景の綺麗な、かつ、びっくりするような広くておしゃれな部屋に住もう、ということじゃない。もっとも最近の人達は「それに憧れるか?」と聞かれたら、そうでもないのだろう。

うちの息子などは、小遣いは欲しがらないし、物欲もあまりない。高級車にも高層マンションにも、就職先としての商社にも、キャリアを考えてのMBAにも興味はわかないのだろうと思う。


常識は変わりつつある。

少なくとも、バブルを経験した僕らの若いころとは違う常識が生まれつつある。


それでも、「好きなことをして生きる」というテーマは変わらないだろう。

先のリンク先の記事にもあるように、当たり前と思っていても嫌々やっているのなら、やめたほうがいい。嬉々としてやっている人には叶わないし、そんな人と同じようにやるのは難しい。

心の底からやりたいこと

それが「人生」という終了時間未定の限られた時間の中でやるべきことだと思う。


加えて、その人が大事にしている価値観も重要視しておきたい。

この世に生きる人に等しく与えられ、かつ、いつ終りが来るかわからない「人生」という時間。そんな限られた時間の中であっても大事にしたい価値観というのは人それぞれ違う。

お金、地位、仕事の成果、家族、友人・・・。


人によっては、組織の中でさまざまなしがらみと闘いながら生きることに喜びを見出す人もいる。

それはその人自信の価値観で選んでいること。その人はそれでいい。そうではないのなら安易に「右へならえ」で生きるべきじゃない。

「みんながサッカーをやるからサッカーをやりたい」ではない。
「みんなが就職するから就職しなきゃ」でもない。


「時間」という枠組みと「自分の価値観」という条件の中で、人生という時間を充実して過ごすために、何を選び何を捨てるか、を自分で冷静に考えるべきだろう。

選ぶことは、心の底から「やりたい!」と思っていること。

捨てるのは、嫌々やっていること。

私たちにはそれを選ぶ権利があるのだ。等しく。

選ぶか選ばないかは、自分次第。





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